2011/04
9

無事であること。

Posted on 2011年4月9日 by admin

目を閉じて大きく深呼吸しよう。
我々はいまなにをするべきか?
こころを静めて考えてみる。

すべき目的はただひとつ。
国は国が無事であること。
地域は地域が無事であること。
家族は家族が無事であること。
人は命が無事であること。

それのみが唯一の目的であり
あとはすべてが手段である。

目的は中々形として表現しずらい。
でも手段は見えやすくから、
多くの人は行き先を間違えてしまう。。。

目に見えないもの、アタマでは考えられないもの
の存在をココロの中で位置づける勇気を持とう!

「支え合う」「助け合う」本当の意味を考えよう!

自然の力は偉大であり、人智が及ばないのが当たり前なのだ。
人間はちっぽけな存在、自然を理解することなんて到底できない。
自然の脅威を受入れるしかないのだ。
でもだからといって無力感、脱力感になるのではない。
「此処より下に 家を建てるな」先人の教訓を活かし、
便利さに惑わされず、傲慢にならず町づくりを行えば、
防げることも少なからずあるはずなのだから。
国に頼らなければもとに戻らない規模の町づくりは
もうやめよう。「防災」ではなく、「備災」。
この災害を後世に伝え、自分たちの手で再び復興できる
規模の町づくりを考えよう。

前回も書いたが、一極集中の東京モデルはもう限界だ。
自分たちの住む地域の中での地産地消。
「食」もそして「エネルギー」も同様だ。
ならば、原発はいるのかいらないのか、明白になる。
東京も一地域。そして必然的に人は地方に流れるはずだ。

自然は大きい。そのすべてを人はアタマで理解することは
できない。なぜならそこには「自然の摂理」があるから。
自然の前で人は小さな存在であり、無力な存在。
人はひとりでは生きていけない。だから人は
助け合って、支え合っていきていくしかないのだ。

「ひとりじゃない」
そんなキャッチコピーがあふれてきている。
でも伝えるべきは、「ひとりではいきていけない」
であるべきだ。

努力しても報われないこともある。
それは努力の仕方が悪かったのではない。
人が身を委ねるしかない自然の世界とはそういうものなのだ。

人はひとりでは生きていけない。
僕は以前転覆事故からそれを学んだこと。

努力しても報われない。
僕が自然と対峙した漁業という営みから以前学んだこと。

自分のことを考えず、自分の幸せを考えず、
みんなの幸せを考える。
みんながみんなの幸せを考え、
みんなが思いやりに満ちた行動をとることに
時間を使い、努力をすれば、
みんなが支え合って生きていける社会になる。

アタマで考えるな。見える形を創造するな。
ココロで感じ行動し、見えないものを評価できる
価値観をいまこそ身につけよう。

無事であること。
それを唯一の目的と掲げてみよう。
無事であり続けるには、食べ物を食べなければならない。
つまり、生き続けるために人は他の命をいただいている。
そしてその命の糧「食」にもまた命がある。
その命をいただかなければ、生き続けることができない。
無事であり続けることはできない。
だからそもそも人は自分だけでは生きてはいない。
そしてその「食」「他の命」は自然に育まれて生まれている。

最近耳にする言葉。
「過度の自粛は経済の活性を妨げるから、すべきでない」
相変わらず目に見える現象でしか判断できず、
本質を理解できない人たちがこの国を動かそうとしている。
前回のブログでも書いたが、その価値観ではもう限界にきている。

もう閉めようと思ったこのブログ。
もうこの国は限界で新しい枠組みでしか再生はないと思って
書いた前回のブログ。残念ながらいまを変えることは難しいと
諦め、将来への種まきに託してきた最近の僕の発信。

でも、震災で多くの人々が犠牲になり、国の価値観が揺らぎ始めた
ことは、多分事実。津波の映像、船の映像は正直堪え難いものが
僕にはあった。自分事に感じてしまう。。。ココロが苦しい。
息が苦しい。涙がいまも思い出すたびにこぼれ落ちる。

この犠牲になった尊い命を無駄にしてはいけない。
だからぼくは、再びブログを書こうときめた。

いまこそ声に出して言いたい!
なにが大事で、これからどうすべきなのか。
目に見えないことをきちんと評価しよう。
アタマで考えるのでなく、ココロで感じ、行動しよう!
自分ひとりではいきていけない、だからみんなで支え合って
いきていくんだという前提のもとに、ココロで感じ、生きていこう!

mental sketch modified
賢治の詩が思い出される。

ZYPRSSEN 春のいちれつ
くろぐろと光素をすへば
その暗い脚並からは
天山の雪の稜さへひかるのに
まことのことばはうしなわれ
雲はちぎれてそらをとぶ

ブログふたたび続けようと思います。

近江正隆

2011/02
26

ニッポンというタイタニック号

Posted on 2011年2月26日 by admin

こんな話を作ってみました。

「ニッポンというタイタニック号」

タイタニック号の前方には大きな氷山があります。
それに気づいた船員は大きく舵を取ろうと必死ですが、
船が大きすぎて、なかなか進路が変りません。
操舵室はパニック状態です。

一方、この夜も大ホールでは、優雅なパーティーが
開かれています。オシャレな服を着て、ご馳走を
前にみんな楽しそうです。

危機感を募った
船員Aは、衝突の衝撃を軽減させようと、船首に
スポンジを巻き始めました。

また船員Bは、大ホールに出向き、乗客に呼びかけますが
回りの音がうるさすぎるのと、みんな冗談だと
思って誰も真剣に聞いてくれません。
そこで船員Bは、衝突して沈没することを想定し、
救命いかだや救命ボートの用意をすることを始めました。
船員Bは仲間の船員に言いました。
「衝突を食い止めるのはもう無理だ。
いまやらなければならないことは海に投げ出される
多くの人たちを救う準備だ。
救出する準備をいまから始めよう!」

10年、20年かかって行う新たな価値感の醸成。
そしてもうひとつ、やらなければならないことは、
たくさんの救命ボートをここ十勝はじめ、地方の
農山漁村につくることなのだろうと思う。

中央集権的な枠組みはもう限界にきている。
なのに加速を始めたタイタニック号。

都市と農山漁村の新たな関係構築に向け、
都市と農山漁村の直接対話がきっとはじまる。

その中で農村への人の流れも生まれることに
なるはずだ。

100年後の歴史の教科書にどんな風に記述される
のだろう?これからの10年は。

2011/02
26

新たな決意。

Posted on by admin

こんにちは、近江正隆です。
ブログを閉めると前回お伝えし、自分の活動に
区切りをつけようと思っていたのですが、多くの方から
続けてほしい!とメールを頂きました。

こんなに多くの方がこのブログを見てくれていたのか。。。
信じられなかったと同時に、うれしくて涙が出てきました。

ここ数ヶ月、壊れることを防ぎたい!
でも立ちはだかる既存の価値観と仕組みに
ひとりで戦車の前に立つような気概で急ぎ足で
行動してきましたが、ひとつ大きく深呼吸をしてみました。
そしていま一度、新たな決意で前に進もうと心に決めました。

皆様には心配を掛けてしまい、ごめんなさい。

 

10年、20年はきっとかかるんだろうと思います。
新たな価値感の創造には。。。
でもここから始めないと根本の解決にはきっとならない。

本質を心から語れる社会の構築。
上辺の現象に左右されず本質を大事とする価値観の構築。
そんな仕組みつくりに僕は多くの人に支えられ、助けられ
てきたこの人生をかけたい!
この命はもう僕だけのものではないんだ。
そうあらためて思いました。

いつか集まって、話をしてみたいです!
子どもたちの未来のために、子どもたちが夢と希望を抱ける
社会に向けて、このブログを読んでくれている皆さんと。

2011/01
18

提案「食の絆再生プロジェクト」

Posted on 2011年1月18日 by admin

自分の中で、自分の頭の中で整理した。
いま、なにをすべきで、
僕に、いまなにができるのかを。

この半年は苦しかった。
口蹄疫での夏の高校生受入れ中止は、
いまだから言えるが、かなり堪えた。。。

メディアの誤報がそのまま真実に。。。
対処に追われ、大阪に足を運び、頭をさげ。。。
本にも書いたが、僕が命懸けで取組もうと
決めた活動の顛末がこれなのか。。。

一瞬、自暴自棄に陥った。
僕をなんのために生かしたのだ。
いまの僕の立ち位置を決める大きなきっかけと
なった転覆事故で生かされたその意味を神様に
問いかけた。

一方で、これも半年前のブログに書いた
高付加価値を付けていく北海道の「食クラ」
プロジェクトにも、行き詰まってしまった。
僕がずっとやってきた「ししゃも加工販売」の
ノウハウはまさしくこのプロジェクトにも
ビンゴだった。そして農水が進めようとする
六次産業の流れもその通りだった。

僕は著書の中でこんな寓話をかいた。

小さい白いにわとりが、みんなに向かって言いました。
「今年も麦が出来たので、50円でどうですか?」
麦はみんなの主食です。
ずっと昔は、みんなで作っていたのですが、
お金やクルマなど便利なものが登場し、
誰もが町へ出て別の仕事をするようになったのです。
ぶたは「高い。」と言いました。
「隣の国の細くてすばしこいにわとりの
作る麦は、もっと安いよ」
ねこも「高い。」と言いました。
「もっと安くする努力をしてよ」
犬も「高い」と言いました。
「隣の国なら、30円だよ」
みんなは結局、
細くてすばしこいにわとりの作った麦を買い、
主食を安くあげました。
小さい白いにわとりは、首をかしげて考えました。
「何を作れば売れるのかしら」
そこへ、学者のきつねがやってきて
「ブドウはどう?」と言いました。
「ブドウなら、100円で売れるよ!」
小さい白いにわとりは、みんなに向かっていいました。
「甘いブドウならどうですか?」
ぶたは、
「いいね。」
と言いました。ねこも、
「いいね。」
と言いました。犬も、
「いいね。」と言いました。
小さい白いにわとりは、ブドウを作ると決めました。
次の年。ブドウがたわわに実ったので、
小さい白いにわとりが、みんなに向かっていいました。
「ブドウができたので、100円でどうですか?」
ぶたは、
「いいね。」
と言いました。ねこも、
「いいね。」と言いました。犬も、
「いいね。」と言いました。
小さい白いにわとりは、麦の時より多くのお金を手にしました。
この年も、みんなは隣の国のにわとりが作る安い麦を買いました。
一方、
小さい白いにわとりは、畑の端っこで
自分たちが食べる分の麦だけは育てていました。
次の年のことでした。
隣の国のお金持ちのくじゃくがやってきて、
小さい白いにわとりに
「そのブドウ、120円で売ってくださいな。」
と言いました。
小さい白いにわとりは喜び
「もちろん。」と言いました。
そして、みんなに売った前の年よりも、多くのお金をもらいました。
そんな時、隣の国の細くてすばしこいにわとりがやってきて、
みんなに向かって言いました。
「今年の麦は、高いですよ。」
ぶたは、
「いくら?」と聞きました。ねこも、
「いくら?」と聞きました。犬も、
「いくら?」と聞きました。
細くてすばしこいにわとりは胸を張って言いました。
「80円です。」
麦は大事な主食です。
ぶたは、
「仕方ない。買う。」と言いました。ねこも、
「仕方ない。買う。」と言いました。犬も、
「仕方ない。買う。」と言いました。
その時、みんなは思い出しました。
小さい白いにわとりなら、
確か50円で売っていたぞ。あそこに頼もう。
みんなは小さい白いにわとりを訪ね
「60円で麦を売ってくださいな」
と言いました。
小さい白いにわとりは
「今は60円の麦なんて、安すぎてつくれません。」
と言いました。
「だってぶどうなら、120円で売れるんです。」
さらにその次の年のことでした。
ふたたび、くじゃくがやってきて、
小さい白いにわとりに
「あなたのぶどうはとてもおいしいから、
今年は150円で買いますよ。」
と言いました。
小さい白いにわとりはたいそう喜び、
「もちろん」と言いました。
そして前の年よりもたくさんのお金をもらいました。
小さい白いにわとりは、
麦を作っていた昔よりも多くのお金を手に入れて、
二度と困ることはありません。
けれど同じその年のこと。
隣の国の細くてすばしこいにわとりがやってきて、
みんなに向かって言いました。
「今年は天気が悪くてね。
みなさんに売る麦がありません」
ぶたは、
「困る。」と言いました。ねこも、
「困る。」と言いました。犬も、
「困る。」と言いました。
「だけどないものはないんです。」
細くてすばしこいにわとりは、一目散に逃げました。
主食が手に入らなくなって
困ったみんなは話し合い、
小さい白いにわとりを訪ねて言いました。
「高くてもいいから麦を売ってください」
さてさて。
小さい白いにわとりは、
みんなになんと言ったでしょう。

そして、時代の流れを受け、急ぎ足で
迫ってくる自由貿易の波。。。
TPP FTA EPAなど。

せっかく、10月の修学旅行(農村ホームスティ)
の受入れは大成功に終わったのに、
口蹄疫のつぎは、これか。。。。
白いにわとりに日本がならなきゃいいのだが。。。

「景気回復」
いま日本人みんなが叫ぶ言葉。
しかし、景気は一時の現象にすぎない。
そして、市場の動向に左右される「経済」
民意と世論に左右される「政治」
「景気」「市場」「世論」
一時の現象に影響しまくるおかしな日本。
なぜ本質ではなく、現象に左右されなければならないのだろう。
「本質」「本当のこと」を「現象」より優先できない
のなら、そこに真実は存在しないはずなのに。。。

民主主義だから、多数決に従うのは、
当たり前だけど、大多数の人が暮らす
都会の論理で考えることに様々な場面で
より疑問を抱くようになったこの半年。

前々回の書き込みにも長文だけど書いたが、
都会を今一度見直し、その価値観を見直す
ことが僕はすべてを差し置いて優先すべき
だと思われて仕方がない。

そう考えると、いまの都会の価値観に
合うようなマーケティングをしていく
ことに大きな疑問を持つようになってしまった。

先日あるニュース番組で卵の価格高騰の話題があった。
物価の優等生と言われる「卵」は、1パック、100円
程度で買えるのが、当たり前の日本。それが、160円
や180円だと、生活が困ると主張する消費者たち。
「給料が上がらないのに、食費は上げられない」
そう言い切る人たち。
ごく一般的な考え方。

でも、スイスでは、卵は1個70円程度で売られているという。
つまり、1パック、700円。
日本なら、不買運動でも起きそうだ。
消費者は声を合わせてこういうだろう。
「安くする努力をしてよ!」
しかし、このことに対し、スイスの子どもたちはこう言うそうだ。

「70円で買うから、鶏農家さんはやっていける」
「鶏農家さんがやっていけなかったら、自分たちは
卵を食べることができないでしょ」

この価値観こそ、この国が取り戻すべきこと。
その想いを取り戻すためのアクションなしに、
農家を想わず、自分のことしか考えない人たちに
合わせるマーケティングを農家はするべきではない。

例え、売れるからと言って、そこに媚びることは
生産者の首を結果しめることになるからだ。

上記の価値観の再生なくして自由貿易に進めば、
結果は明らかであり、逆ににっぽんの農業、農村の
価値観もさらに都会化を招くだろう。

売れるものを作り、高く売れるところに売る。
市場原理の当然の手法。
確かに、農村の発展を考えた場合、これは正論だ。
農家は海外にも販路を広げ、都会的な発想を持ち
都会的豊かになっていくと想像する。

しかし、いずれこの判断は大きなしっぺ返しを
都会的価値観とにっぽんに与えることになるだろう。
なぜなら、命の糧「食」は人知及ばない自然の
産物でしかないからだ。

あらためて言いたい!
僕は、都会を否定もしないし、いまの社会も大好きだ。
でもいまの社会にかけてる価値観がある。
それを再生することがいまの日本に必要であり、
その大きなきっかけがこの「食の絆再生プロジェクト」
なのだ。

でも、僕はこの想いを抱きはじめて、多くの人を
傷つけてしまった。。。
多くの人たちと一緒に作ってきたネットショップの閉鎖。
「旬の逸品やさん」を愛してくれた人を僕は裏切ってしまった。
そして僕を応援してくれる様々な都会の人たちに
想いを踏みにじるような態度をしてしまった。。。
そのことは、償わなければならないこと。
いま、そう思う。

「食の絆再生プロジェクト」が目指すのは、
都会の子どもたちと、農村の子どもたちの意識の醸成。
体験を行い芽生える心の変化をさらに教育というカタチで
意識付けに持っていくことが目的だ。

修学旅行(都会)、浦幌の事業(農村)をモデル的に位置づけ
全国展開に向けた手法を構築し、展開していく。

国策に位置づけを行ってほしい!
自由貿易に突き進むならより考える必要性が高まる
長期的な農村振興、そして食料問題のひとつの糸口として
この活動を国策でやってほしい。

目指すは、スイスなみに農家や農村を思う都会の子どもたちの
意識の醸成と、それにきちんと応え、誇りと希望をいだき
暮らす農村の子どもたちの意識の醸成だ。

今の都会の価値観がかわり、都会の人たちが普通に地方の農村を
自分ごとのように想い、命の糧「食料」を生産する地域に敬意を
持ち、支えたいと願うようになり、

命の糧「食料」を生産する地域ということに誇りを持ち、
地域一体となって、農業をもり立て、農商工連携や六次産業
などの連携手法でさらに地域を元気にしていき、自分たちの
地域を想ってくれる都会の人たちのニーズにあった高付加価値
作物を作り、一方で安定供給が必要であるが故に安価な原料作物を
作り続け、そのことに更なる誇りを農家も感じる。あえて安価な
原料作物を作ることに感謝する消費者は、補助金というカタチで
お金で感謝の気持ちを農家に表現する。

考えてみれば、これが当たり前のこと。
戸別保障や六次産業などの施策を行う前に、このような価値観の
醸成を行うこと。それだけでいいのだ。

ただ、なかなかすぐには、結果がでないのも事実。
きっと、10年、いや20年30年といった、長い目で
見ていく取組みであり、そこで成果が生まれてくる。
だから、いまの価値観では、だれもできない。。。
それは国も同じ。。。
きっと仕分け人に、「費用対効果は?」
「緊急性は?」「成果は?」と迫られるだろう。
この価値観では計りしれないことがある。

いますぐ成果はでない、でもどこからか誰かが
始めないとずっと先送りのようで、結果構築できない
未来があると思う。僕は微力だ。いや無力だ。
正直、財政的には、ネット販売をやめたことで
大きなダメージを背負っている。
もう、いままでのような手出しはできない。。
また僕がやり続けることを別に目標にするつもりもない。
かわりに志を継ぎ、やってくれる人が表れるなら、
すべてを差し出していい。

もし、この想いに賛同してくれる人がいたら、
どんなことでもいい、力を貸してほしい。

20、30年後に食の絆が再生し、いまより幸せ感を
感じられる社会を。

 

babfvt

2011/01
18

未来にむけて

Posted on by admin

今年度も浦幌中学校の総合学習で
うらほろスタイルの取組みが行われた。

4年目の今年はさらにレベルアップ!!
今年も町の魅力に触れ、町のために!を
合い言葉にたくさんの町への提案が企画された。

http://urahoro-style.jp/kyouiku/

12/17に発表会が行われ、町長や教育長も駆けつけ、
中学生の発表に地域の大人たちが耳を傾け、
真剣に聞き入った。

そして、これらの子どもたちから託された想いを
今度は大人たちの手で実現できるか?が我々大人に
課せられた課題。

●「浦弁」

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●ウラハとホロマ

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これらは、地域の大人たちでカタチにしたものたち。

これらにひきつづく、地域の大人たちの動きに期待したい!

ちなみに、この「うらほろスタイル」の関係で先月
上京してきた。その時には、ウラハとホロマも同行した。

その時の様子を12/17の発表会で紹介するために
ビデオを作った。ぜひお時間があったら。
(なんと、菅総理とホロマが対談?)

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浦幌の子どもたちが、さらに地域、そして自分たちの取組みに
誇りを持ってもらうきっかけになれば、うれしい。